鮫島牧場 鹿児島県熊毛郡中種子町(種子島)

放牧することで足腰の強い乳牛に 種子島酪農・郷土の発展を願って

鮫島安平さんと妻のあさえさん。近くに住む長男のお嫁さんも手伝っています

どこまでも緑が続く広大な敷地の小高い丘の上では、乳牛がのんびりと草を食んでいました。畜舎には「鮫島牧場」と書かれた大きな看板がかかっています。鮫島安平さん(61)と妻のあさえさん(62)で切り盛りする牧場は、山越しに海が見え、牧草や山々の木々が熱を持った空気を冷ましてくれる、大自然の中にありました。

飼料の自給率9割を支える相棒のトラクター

全部で3haもあるという広大な敷地。飼料用の畑も10町歩あります

鮫島さんは高校時代から実家である牧場の作業を手伝い、朝、さく乳をしてから学校に通っていたといいます。以前は18頭だった乳牛を現在は50頭にまで増やしてきました。育成牛を合わせると80頭になります。乳牛は、夜はずっと放牧しているといいます。鮫島さんは「丘の上と下の4反の畑で草を食べて、足腰を動かすことで丈夫になって病気をしなくなる」と、その理由を話します。
3haもの敷地があり、10町歩の畑でイタリアンライグラスなどを栽培。自給率は約9割に上ります。種子島のサトウキビも大切な飼料です。乳牛の堆肥はサトウキビ栽培の肥料となり、島内での循環ができています。数々の作業を支えるのがトラクターなどの農機です。鮫島さんは「手直しして何十年も使っている。何でも自分でできるよ。これが経費削減になる」と見せてくれました。鮫島さんの相棒たちは、まだまだ現役で大変な作業を支えてくれそうです。

子どもたちに伝えたい 種子島の酪農と命のこと

鮫島さんが工夫して手直ししながら使い続ける農機。数多くの種類がありました

鮫島さんがこれまで学校の先生方と作ってきた、たくさんの資料を見せてくれました。種子島の酪農について、歴史や先人たちの努力、乳牛のことや酪農家の仕事など、こと細かにまとめられています。子どもたちは、話を聞いて調べ、牧場での実際の体験を通して、種子島で酪農という産業がいかに大切かを学んでいきます。「牧場には小学生だけでなく、幼稚園生も来るし、大学生も調査に来る。乳牛に触れて命を身近に感じて、もっと酪農のことを知ってほしい」と島の未来へ思いを託す鮫島さん。
中種子町グリーン・ツーリズム推進協議会の会長でもあり、県内外の人との交流を続けています。鮫島さんは多くの人を迎え入れ、交流することで、郷土の発展を支えています。

取材・ライティング:Yuko Kawagoe