日本初の乳性炭酸飲料の誕生 スコールの歴史

牛乳×炭酸=スコール!?

時は昭和40年代前半。木之下利夫初代社長が大好きな釣りに出かけていました。この日も、牛乳や炭酸ドリンクなど、たくさんの飲み物を抱えてワクワク気分で磯へ。
クーラーボックスを開けると、持参した牛乳とサイダーがこぼれて混ざっていました。ここで木之下社長、「あ~あ」とは思いません。
「これは!」。そう、この時「牛乳×炭酸の新法則」をひらめいたのです。

いつもいつも「牛乳が苦手な子どもたちに、栄養豊富な牛乳を飲んでもらいたい」と考えて、新商品開発に余念のなかった木之下初代社長。伝説の1ページの始まりでした。

ところが、牛乳のサイダー割り、これが簡単にはいきません。
「これまでも、牛乳でさまざまな製品を作ってきたじゃないか」「でも、牛乳と炭酸を合わせると、固まってしまうのです」「いや、乳業メーカーだからこそ、この商品が作れるんだ」。
この飲料は、きっと子どもたちや多くの人に喜ばれるはず。その一念でチーム一丸となって、研究開発を進めていきました。そこには、「乳のことなら誰にも負けない」というプライドがあったのです。

スコール完成、そして

〈スコール〉。爽やかな名前だと思いませんか?
木之下初代社長は、デンマークの友人の家に招かれた時、食卓で何度もこの言葉を聞きました。スカンジナビア3国で「乾杯!」という意味です。
もう一つの意味は、熱帯地方の「スコール=夕立」。戦争で熱帯地方に行った友人から、現地では暑さを和らげ、作物に潤いを与える「干天の慈雨」の意味があると聞いていました。
渇きを癒やして潤す、「乾杯」したくなる飲み物。ぴったりの名前が付けられました。

緑色の瓶で発売されたスコール。色は「緑」「青」「茶」の3色の候補がありましたが、今となっては緑色以外は想像がつかないほどですね。
発売された1972(昭和47)年は、高度経済成長が終焉を迎え、安定成長へとシフトしていくタイミング。第一次田中内閣が発足した年でもありました。
開発と同様、販売もすぐにうまく、というわけにはいきませんでした。207mlで35円という価格も、苦戦した一因だったのかもしれません。しかし、社員たちも知恵を絞ります。幸運を引き寄せたのは、当時の担当課長の「クジをつけたらどうだろうか?」の一言でした。

これが、スコール快進撃の始まりでした。

スコールの開発は大阪研究室で始まった。
スコール発売当時の充填ライン。