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生産者インタビュー

小さいころから動物が大好きだったんです。 牛と一緒に居られる酪農がしたいとずっと思っていました。

松元牧場 鹿児島県西之表市(種子島)

更新日:2013年7月31日

鹿児島本港から高速船トッピー(名産のトビウオのこと)とロケットで約1時間半。種子島は南北の全長約57km、東西の最短部分約5kmと、細長い地形です。古くは鉄砲伝来の地とされ、時を同じくして酪農が伝わったともいわれています。現在は種子島宇宙センターがニュースによく登場します。

実は種子島は酪農が大変盛んな島。大規模酪農家も多く、南日本酪農協同の商品には「デーリィ種子島3.6牛乳」というブランドがあるほどです。
このコーナーでは今回から数回にわたり、暖地酪農のパイオニア・種子島から酪農家の紹介をお届けします。

2世代受け継いだ技術で、質のいい生乳を安定的に供給

啓恭さん、啓介さん、家族力を合わせ2世代で牧場を守っています
啓恭さん、啓介さん、家族力を合わせ2世代で牧場を守っています

西之表港から高台に上った松元牧場。真っ青な海を見下ろし、高速船が入港していくのが見えます。のどかな風景を望む松元牧場は、松元啓恭さん(65)の祖父が少数から始め、啓恭さんが18歳のころ(昭和42年)本格的に始めた牧場です。長男の松元啓介さん(34)が6年前、妻・里香さん(34)との結婚を機に、後を継ぎ、牛の世話や導入、経営を任されています。

動物好きから夢の酪農家へ

種子島の牧場は、高台で眺めのいいところが多いです。松元牧場からは高速船の姿が
種子島の牧場は、高台で眺めのいいところが多いです。松元牧場からは高速船の姿が

父親の啓恭さんにとって酪農は、幼いころからの夢でした。「祖父が牛や馬、豚を飼育していて、小さいころから動物が大好きだったんです。その時から搾乳を手伝っていました。牛と一緒に居られる酪農がしたいとずっと思っていました」。
始めた当初は7頭を購入し、毎日、手で搾って出荷していたといいます。妻・絹江さん(59)と手を携え、少しずつ規模を拡大していきました。啓介さんが継いでから更に頭数を増やし、現在の飼育頭数は搾乳牛115頭と育成牛約10頭、それに加え、北海道に預託している育成牛約20頭にまでなりました。体格のいい牛が育つことから、導入も北海道から行っています。

種子島酪農のポイントとは?

畜舎の柱は、必要なくなった電信柱を活用。ミストを発生させる大型の扇風機が設置され、空気がひんやりとしていました
畜舎の柱は、必要なくなった電信柱を活用。ミストを発生させる大型の扇風機が設置され、空気がひんやりとしていました

フリーストールの形態の畜舎は、平成10年に建てたもの。ここで、種子島酪農独特のポイントを教えていただきました。まず、畜舎の床の敷料に地元でとれる山砂を使っていること、畜舎の柱が電信柱(松元牧場は木製電信柱でした)、購入飼料に、サトウキビを精糖する際に出る廃糖蜜を使っていることが大きな特徴です。松元牧場では、提携しているサトウキビ畑に堆肥を肥料として提供し、地域内で循環を図っています。

苦労しながら工夫重ね、質のいい生乳を

山砂を使った牛のベッド。種子島ならではの敷料です
山砂を使った牛のベッド。種子島ならではの敷料です

啓介さんは、酪農を始めて13年目になりました。宮崎県都城市の牧場で研修を受け、実家に戻ってきましたが「初めは牛のことも酪農のことも、全然分からなくて苦労しました」と話します。受精卵の数を増やすために和牛2頭を飼育したり、飼料は1日分をミキサーという機械で作り、1日自由に牛に食べさせたりしているほか、周辺環境への配慮のため、ヨーグルトやイースト菌などを発酵させて作る微生物資材を使っています。臭いが軽減し、ハエが少なくなったと実感しているそうです。
さまざまな工夫を重ね、質のいい生乳を安定的に出荷する。父から子へ、酪農家の信念が受け継がれていきます。

取材・ライティング:Yuko Kawagoe

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